身内自慢は

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身内自慢は

わたしは、相当、根性がヒネ曲がっている。
自覚、大いにあり。
自覚があるなら直せばいいものを、開き直っているところが、ますますよくない。

と、前置きをして、自己弁護、自己防衛を。(に、なってない?!)


知り合いの、とある人の配偶者のお父さん(=義父・別居)が亡くなった。
80歳を越える高齢のうえ、ガンを発症し、
余命半年と言われてから、ガンが転移し、あっという間に余命1週間に。
入院することなく、往診の先生に診てもらいながら、最後は自宅で息を引き取った。

高齢ということもあり、手術はせず、延命治療も断ったそうだ。
幸か不幸か、子供たちの父親への介護は、とても短い間で終わった。

最愛の家族に囲まれ、看取られ、惜しまれ、
最後まで痛みを我慢した、忍耐力のある、天寿を全うした、お義父さん。
ご冥福をお祈りします。(まったく、お会いしたことはありませんが)


人の生死という、厳粛で神聖なテーマ、話だというのに、
ここで、わたしの、根性の悪さがひゅるひゅるとアタマをもたげ、展開される。
まったく知らないひと、ということもあって、だが・・・


いかに、そのお義父さんは、素晴らしかったか、延々とわたしは聞かされた。

延命治療を自ら断る人など、いないのに、勇気ある決断だ。
人に慕われて、たくさんの弔問客が次々に葬儀に訪れ、お葬式が時間内に終われなかった。
お義父さんは、アタマのいい人で、どの人もそのアタマの良さを誉め称えた。
各人、お義父さんの額に手を当て、知力を自分たちにインストールしたとか。
孫たちも泣いて泣いて、どうしようもないほど、お義父さんは慕われていた。

どれも、すばらしい話だ。
立派に人生を全うされて、実り多い時間を過ごされた(と想像する)。

そういう、良い話なのに、なぜか、聞けば聞くほど、カチンカチンと引っかかる。

あまり知らない人に、身内の自慢をするのは、
聞く人にとっては、わたしのように性根の曲がったものもいるので、要注意・・・・


それだけ声を大にして自慢できる、素晴らしい、知力のある立派な方であっても、
客観的に社会的に見て、その知力は、ご身内にしかわからない性質のもののようだし、
その賢いインテリ遺伝子は、
誰もが認めるはっきりしたカタチで、ご子孫にはあまり伝承されてないように思える。

葬儀が終われないほどの弔問客って、葬儀屋さんが時間配分をミスしているのか、
余裕を見た焼香台の数を用意していなかったのでは。
ある、大きなグループのお偉いさんの葬儀に参列した時、会場に入れないほどの人だったが、葬儀時間内にちゃんと、終わった。

どこかの宗教団体のご教祖様か、大企業の会長、社長様か、
政治団体の権力者か(これは、いまは、微妙ですが)
エルビス・プレスリーか、マリリン・モンローか、はたまた、石原裕次郎か、尾崎豊か、
X-JAPANのhideさんか鑽石能量水 問題

その割には、お義父上は、生前、町内会活動以外に、なにをされておられた方なのか、
具体的な偉業や、経歴など、さっぱり伝わってこない。
ひょっとして、伊達直人ばりに、隠された功績があって、
無名の人々から、ものすごく信頼を集めておられた方なのかも知れないが。


延命治療や、手術をしないのは、高齢になると、よく、そういうことを医師に勧められることがある。
私のごく身近な親戚も、数名がそうしていた紐崔萊產品
世の中に、そんな勇気のある人は、いない、って・・・そんなことは、ないはず。

亡くなったひとをとやかく言うつもりなど、さらさらなく、ご冥福をお祈りするばかりだ。
だが、日頃は疎遠で、配偶者の兄弟にまかせっきり乳鐵蛋白
病気になってからも、ほとんど介護や医療費負担に関わってもいないのに、
口いっぱい、目いっぱい、自慢するだけ自慢するのは、
お義父さんを誇りに思われているのはよくわかり、結構なことだが、
当のご本人を知らないわたしとしては、複雑な心境になった。

なにも権威的な、大規模なお葬式や、送る会がいい、と、わたしは言ってない。
義理や権力で集う人ばかり、派手に人数を競うように、かき集めるより
本当に身内だけ、こころ通うひとだけが、ささやかに執り行う家族葬でも、いいと思う。

家族だけが、身内だけが、知る、故人の良さや偉さは、自分たちのこころに生き続ければ、それだけで十分。
あえて、他人にアピールする必要はない。

世間を気にすることなく、こじんまり、身内でまとまりたい、
その一方で、誰の目から見てもわかるように、故人の偉さや力を他人に強調したい、
両方を同時に、というのは、双方、逆ベクトルだと思うので、無理な力が加わる。

身内自慢は、ほどほどに。
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